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マニュの店

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幕末動乱展

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忍城に飾ってあったポスター

これは

壬生町歴史民俗資料館の企画展「幕末動乱~開国から攘夷へ」が26日、同資料館で始まった。
1853年のペリー来航から江戸開城ごろまで約15年間の幕末動乱件期に関する貴重な資料を約200点展示。
27日、8月10日には展示解説も行われる。企画展は東京都の日野市立新選組のふるさと歴史館、
板橋区立郷土資料館、茨城県の土浦市立博物館と4館で初めて共同企画した。
4館が所蔵する資料が集結することで関東地方での幕末の動きをテーマごとに見ることができる。
注目を集めているのは新選組の土方歳三肖像写真(縦9センチ、横6センチ)。この日は実物が展示され、
多くの来館者が足を止め見入っていた。27日からはレプリカを出品するが、9月の展示最終1週間も実物が登場する。

日野ではこのポスターでした

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展示場所ごとにポスターが違うのは、珍しいのでは・・・?
日野には行けなかったので、壬生には行こうと思っています

栃木にも壬生という地名があるのですよ。
京都における新選組の屯所があったのが壬生村

幕末というと、土方さんの写真が目玉なんですね

お台場は、江戸時代に作られたもの

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1853年(嘉永6年)、ペリー艦隊が来航して幕府に開国要求を迫る。これに脅威を感じた幕府は、江戸の直接防衛のために海防の建議書を提出した伊豆韮山代官の江川英龍に命じて、洋式の海上砲台を建設させた。品川沖に11基の台場を一定の間隔で築造する計画であった。工事は急ピッチで進められ、およそ8か月の工期で1854年にペリーが2度目の来航をするまでに砲台の一部は完成し、品川台場(品海砲台)と呼ばれた。お台場という呼び方は、幕府に敬意を払って台場に「御」をつけ、御台場と称したことが由来である 。埋め立てに用いる土は高輪の八ツ山や御殿山を切り崩して調達した。また、そのために東海道の高輪通りを昼間は通行止めにした。

ペリー艦隊は品川沖まで来たが、この砲台のおかげで横浜まで引き返し、そこでペリーが上陸することになった。台場は石垣で囲まれた正方形や五角形の洋式砲台で、まず海上に第一台場から第三台場が完成、その後に第五台場と第六台場が完成した。第七台場は未完成、第八台場以降は未着手で終わった。第四台場は7割ほど完成していたが中止され、その後は造船所の敷地となる。また第四台場の代わりに品川の御殿山のふもとに御殿山下台場が建設され、結局、合計8つの台場が建設された

完成した台場の防衛は江戸湾の海防を担当していた譜代大名の川越藩(第一台場)、会津藩(第二台場)、忍藩(第三台場)の3藩が担った。

以上「wikipedia」より引用

すごいぞ!忍藩!!台場を守っていたんですね

150年前から、日本はずいぶん変わりました

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今日も無事に1日が終わりました





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  1. 2014/07/30(水) 01:18:59|
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