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新選組備忘録

ここは個人的な備忘録なので新選組に興味がない方は
スルーでお願いしますね。


新選組の2番目の屯所

西本願寺 北詰所
太鼓楼があるところです

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9月2日 この西本願寺を屯所にしていた時代の
土方歳三さんについて書かれた日記が発見されました。

隊士の人数が多くて、西本願寺の北詰所が狭いので
阿弥陀堂を借りたいという嘆願に、西本願寺側は拒否など、14件が日記に書かれているそうです

黄色い壁沿いにずっとまっすぐ歩いていくと、島原です

nishihonnganji3_20140908073550e1b.jpg

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この先の門を開けると隊士たちが過ごした場所

nishihonnganji2.jpg

残念ながらその建物は、姫路市の亀山本徳寺の本堂へ移築されたといわれています

西本願寺には約2年駐在、その後風間千景の襲撃に遭い、西本願寺側が恐れをなし
っていうのは薄桜鬼の話ですが、
西本願寺が不動堂村に屯所を建て、そこに移ることとなりました。

その場所が、リーがロイヤルホテルあたりという説と
ハトヤ瑞宝館あたりという説があります
場所は京都中央郵便局の裏 西同院通と塩小路通りの交差点あたり

ハトヤ瑞宝館

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ハトヤ瑞宝館を背にしてみた交差点
このあたりという説
ここからずっと上がっていくとセブンイレブンがあり、その一角が不動堂村屯所という説もあります

tonnsyo3.jpg

ま、ようするにこのあたりです

地図にするとこんな感じですか


地図 不動堂村あたり2

2 伊東甲子太郎が近藤局長の妾宅へ呼ばれ、酒肴を振舞われたあと
新選組隊士に襲われ本光寺前で絶命

それがここ

aburanokouji2.jpg

油小路通というので、いまでも油屋さんが商売をしています。

aburanokouji.jpg

3 新選組隊士は、伊東甲子太郎の遺体をここまで引きずってきて、事を聞いた御領衛士を待ち
闘争になった

aburanokouji4.jpg

ここで新選組から御領衛士に移った藤堂平助死亡

村瀬本店はお肉屋さん
前に訪れたときは、電柱に「伊藤ハム」の看板があったので目印になってましたが
いまは撤去されちゃいましたね。

不動堂村屯所には慶応3年6月に引っ越し、同年12月に伏見に移動しているので
たったの6か月しかいなかったのですね

(参考文献「歳月堂 ふぃーるどわーく京都西」)

京都駅近くに、たくさんの事柄がありました。
ふ~!

西本願寺の公開講座当たるといいなあ


毎日新聞より
 浄土真宗本願寺派本山・西本願寺(京都市下京区)に残された幕末の文書から、新選組が西本願寺に駐屯した当時の様子を示す記録が見つかった。本願寺史料研究所が2日発表した。駐屯を始めた直後、寺に多額の借金を願い出たり、隊士の待遇改善を副長の土方歳三(ひじかた・としぞう)自らが寺側に直談判したりするなど、組織維持に苦心したさまが浮かび上がる。

 研究所が当時の日記やメモ書きを精査。新選組に関する記述が14カ所で見つかった。

 新選組は1865(元治2)年3月、壬生(みぶ)寺周辺から西本願寺の北集会所に移り2年余り駐屯。記録には駐屯を始めた11日後の3月21日に「金五百両也」「新撰組ヨリ拝借願ニ付、今日御貸下ニ相成候事」との記述があり、寺が200両、残りを商人から工面していた。同じ日に新選組が「相撲を開催するので見物に来ないか」と誘うなど気遣いも見せていた。ただ、当時このような借金は返されないことが多かったという。

 6月25日には土方が寺の担当者と面談し、「1人1畳くらいのスペースしかなく暑くてたまらず、隊士からも不満が出て抑えられない」とし、阿弥陀(あみだ)堂(本堂、現在は重文)を50畳ほど借りたいと要求。寺側は応じず、集会所の未使用部分に畳を敷き、壁を取り外して風通しを良くすることで対応した。その日のうちに土方から「無理な願いを早速聞いていただき、かたじけなく思う」とする礼状が届いていた。

 一方、寺側の警戒ぶりもうかがえる。新選組が来る前日の3月9日には、寺の各所に「隊士に不作法な態度は取るな」「隊士と出会っても直接に対応するな」と通達。また、寺のトップである門主の外出ルートが北集会所に近いため「(北集会所から離れた)車御門から輿(こし)を通過させる」としていた。

 同研究所の大喜(だいき)直彦・上級研究員は「西本願寺に駐屯していた頃は新選組の結束力が弱まり始める時期。土方が引き締めに必死になる様子が浮かぶ」と話している。

 研究所は今回の成果を受けた公開講座を11月11日に築地本願寺(東京都)、12月12日に聞法会館(京都市下京区)で開く。申し込み方法などは後日、本願寺史料研究所のホームページに掲載する。問い合わせは本願寺派(075・371・5181)。【花澤茂人】

 ◇「新選組」隊士たちの具体的な姿がきちんと裏付けられた

 「新選組」などの著書のある歴史家の松浦玲さん(日本近代史)の話 西本願寺側の当時の記録はこれまでほとんど知られていなかった。想像するしかなかった隊士たちの具体的な姿が時系列も含めきちんと裏付けられ、大変興味深い。

 ◇新選組の動き

1863年 2月 新選組の前身「浪士組」が京都に到着し、壬生寺の周辺を屯所とする

1864年 6月 池田屋事件。7月には禁門の変で薩摩、会津藩などとともに長州藩と戦う

1865年 3月 壬生寺周辺から屯所を南の西本願寺に移す

1867年 6月 西本願寺から現在のJR京都駅に近い不動堂村の新しい屯所へ移る

     10月 徳川慶喜が大政奉還

1868年 1月 鳥羽・伏見の戦い。旧幕府軍が薩摩、長州藩など新政府軍に敗れ、新選組も江戸へ敗走

      4月 近藤勇処刑

1869年 5月 函館・五稜郭の戦いで土方歳三戦死
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テーマ:史跡 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2014/09/24(水) 23:29:38|
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